先日(8月8日16時43分)の宮崎県日向灘でM7.1の大きな地震が起き、本当に驚きました。私と主人は家のリビングにいて、いつもにない大きな揺れと携帯の警報音に驚き、その場に立ち尽くしていました。宮崎市内は震度5強、日南市で震度6弱を記録し、その後気象庁で南海トラフ地震臨時情報が発表されるまで、暫く落ち着くことが出来ませんでした。
そんな中、早めに帰省していた娘が宮崎市中心部のビルで屋上に避難させられているとの連絡がはいり、『動いてはいけない』・『迎えに行かなければ・・・』との感情が交差して20分ほど考えていましたが、地元のテレビ局の報道で市内はそれほど混乱している様子がなかったので、車で市内中心部に向かいました。ある程度渋滞は予想していましたが、それ以上に渋滞していたので、『万が一この後に先より大きな地震がきて津波が発生したらどうしよう』と不安になりながらなんとかそのビルの駐車場についたのですが、ビルの入口が閉鎖されていてどこからも入ることが出来なかったのです。子供からは、『今は出られないから迎えに来なくていい』と言われていたのですが、電話でやり取りするも、『責任者の人が避難した人達にここで待機しているように言っている』とのことで、本当にどうしようかと迷っていると、追い打ちをかけるように携帯の充電が無くなりそうに・・・
娘がそのビルから出られるまで、私はどうしよう・・と周辺を見ていると、車は渋滞しているものの、近くのドトールコーヒーでのんびり?している人がいて、コンビニにも買い物客がいたり・・ただ、全員が携帯電話を見ていたのははっきり覚えています。バス待ちの人も多く列をなしていました。私はと言うと、汗をかきながらどこで携帯の充電器を買おうか迷っていました。
その後、何とか娘は非難しているビルの屋上から出ることが出来ました。(避難誘導した責任者からは、「自己責任で帰られてください」と言われたそうです)それにしても、そのビルの防災担当者は慎重派というか、責任感が強いというのか・・・1時間以上も多くの人々を屋上にとどめていたことは、いまだによくわかりません。
帰りは、海から離れた平和台大橋を通って遠回りしながら自宅に向かい、途中スーパーに立ち寄ると多くの車が駐車していたので、これまたびっくり!多くの方は、『水と常備食』の買い出しに来ていたのです。その前にもガソリンスタンドに入るために車が渋滞していました。家に帰りついたのは夜の8時頃で、地震発生からは長い長い時間に感じました。
宮崎市内の被害は大きくはなかったようですが、震度6弱の日南市内はだいぶ被害があったようで、1日でも早い復興ができますよう願っています。
7月からの猛暑と大きな地震、そして台風の襲来で、お盆時期の日本は各地で混乱しています。災害常襲国日本の宿命でしょうけど、被害が最小限で済むよう願うばかりです。
帰省スルー、帰省ブルー、セパレート型帰省
13日早朝、姉夫婦とお盆のお墓参りに行ってきました。宮崎に住んで、21年、毎月欠かさずお墓参りをしていますが、先月初めてお墓参りを休んでしまいました。ここ1ヶ月以上の暑さで体力的に無理が出来ないと判断してのことです。
今回に限らず、ここ数年で感じることは、雑草などで荒れたお墓が増えていることです。近年はお墓に関する問題が話題になることがあります。例えば墓じまい:後継者がいなかったり、維持管理が困難な場合、墓じまいを検討する人が増えています。また、お墓の継承者がいなくなったり、遠方に住んでいることで、維持管理が出来なかったりしているようです。私共も他人ごとではないと最近強く懸念しています。
もう何年も前から、お盆・正月の帰省にまつわるエピソードと言いますか、話題になっているのが、帰省を避けたがる子供世帯や義理の親の実家に帰省したがらない子供世帯があると同時に、最近は夫婦が別々に時期をずらして帰省するセパレート型帰省と言うのを最近耳にします。今年のように猛暑が続いたり、巨大地震注意報が発令されていたり、台風が接近していたりすると、帰省時期をずらしたり、帰省を取りやめたりすることは吝かではありません。
50代・60代の親世代にとっても、迎える準備の手間などを考えると、帰省することに関してはだいぶ柔軟な考え方を持っていると思います。ただ帰省に関していうとすると、昔からの良い点は、故郷があるという誇りと故郷への愛着の精神が思い起こされるということではないでしょうか。子供世代が単身であっても、多くの親世代にとっては子供の帰省は楽しみなものです。時期をずらしてでも故郷に帰省することを願っています。この些細な行動が親子の絆を再認識し、加えてふるさとの人と人をつなぐきっかけになるとも思えるからです。